今週の聖書の言葉と祈り

今週(月曜〜金曜)の聖書の言葉と祈り

皆さまの一週間の歩みが神さまの御手によって守られますように。一緒に聖書を開いて、新しい1日を始めましょう!

1月17日(金) マタイによる福音書5章1節〜10節

天の父なる神さま。私たちは自分の中にどれだけのものがあるのかを探し、そこに喜びを見出し、誇りを見出してしまいます。しかし、そうではなく、自分の中には何もなく、ゆえにあなたの助けがなければ生きていくことができないことを今日も知ることができますようお守りください。主の御名によって。アーメン。

1月16日(木) マタイによる福音書4章17節〜21節

恵み深い天の父なる神さま。私たちは手放すことができない頑固さをそれぞれが持っています。手放したと思ってもすぐにそれを拾いに行ってしまいます。そうならぬために、イエス様を通して神の子とされていることを第一にして過ごすことができますようお守りください。主の御名によって。アーメン。

1月15日(水) マタイによる福音書4章12節〜16節

天の父なる神さま。天国はやがてくる場所でありつつ、しかし、すでにもう来ているのだと、イエス様の到来によって、それが明らかとなりました。イエスさまを通して、天に約束された命ゆえに、私たちが今日も安心して過ごすことができますようお守りください。愛する者を天に送った家族を主の憐れみと慰めがお支えください。主の御名によって。アーメン。

1月14日(火) マタイによる福音書4章1節〜11節

天の父なる神さま。神様から私たちを遠ざけていくような誘惑や試練があるならば、私たちは自分の力でそれに勝利することはできませんから、誘惑に勝利されたイエスさまが今日も私たちの手をとって、導いて、守ってくださいますように。主の御名によって。アーメン。

1月10日(金) マタイによる福音書3章17節「そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」

父なる神さま。今日も目覚めをありがとうございます。イエスさまの身代わりの十字架を通して、私たちの罪が赦されて、私たちがどれだけ愛されているのかがよくわかりました。私たちの身に何が起ころうとも、「あなたは私の愛する子」と今日もあなたが呼んでくださる、そのことを心に刻み過ごせますようお守りください。主の御名によって。アーメン。

1月9日(木) マタイによる福音書「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。」

教会の頭、主イエス・キリストの父なる神さま。神さまは私たちを愛しているが故に、王の座から下り、地上に降り、飼い葉桶で生まれてくださいました。神さまの方から私たち人間へと近づいて来てくださいました。だから自分中心に歩んでいた自分を悔い改めます。神様の助け、お支えがないと生きていくことはできないと自分の弱さを認めて、イエス様と共に今日も過ごしていきたいと思います。主の御名によって。アーメン。

1月8日(水) フィリピの信徒への手紙3章20節「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」

父なる神様。御名を賛美いたします。あなたの聖なる御国からすれば、私はなんと汚れているのか、と思います。しかし、私の国籍は天にあります。私は光の子です。その栄えある身分をこの世にあって現したく願います。今日も私は、世にありながら、実は天国人であり、地にありながら、神の子の一人であるという誇りはなんという心強さであり慰めとなるでしょう。今日も、そのようなことを心に留めて過ごすことができますようお守りください。主の御名によって。アーメン。

1月6日(月) ヨハネによる福音書6章68〜70節 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。  あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」

天の父なる神さま。私たちがあなたを選んだ以上に、あなたが私たちを選んでくださった、その恵みを2025年の私たちの信仰の歩みにおいても忘れてしまうことがありませんようお守りください。罪と弱さ、欠けがあることをご存知の上であなたは私たちを選んでくださいました。選ばれた恵み、赦された恵み、今日も御手の中にある恵みを覚えます。あなた以外の他のどの場所へ行っても救いはない。神の教会にしか、永遠の命がないということを、あなたが2025年も命の御手をもって導き続けてくださいますようお願いいたします。主の御名によって。アーメン。

1月2日(木) ヨハネによる福音書10章10節「盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」

恵深い天の父なる神さま。今日は今日の計画を、1年には1年の計画を立てると共に、天の国の希望に生きる人のように、狭くなりがちな私たちの心を開いてください。十字架と復活の主の眼差しを受けながら、命を与えられた者として今日を歩んでいけますようお守りください。主の御名によって。アーメン。

2025年1月1日(水) ローマの信徒への手紙12章1〜2節「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」

2025年も礼拝を中心とした、父・子・聖霊なる三位一体なる主なる神様の御言葉を慕い求める私たちの歩みとなっていきますようにお支えください。何をするにしても「神様の憐れみ」によって支えられ、イエス様ならこの時どうするだろうという視点を見失うことなく、歩んでいくことができますように。間違えたら、十字架に立ち返る歩みをもお守りください。アーメン。

12月31日(火) サムエル記上7章12節「サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。」

父なる神さま。始まったとばかり思っていた1年がもう終わりを迎えようとしています。頼りない私をここまで見捨てることなく、導いてくださいましたことを心より感謝申し上げます。1年の歩みにおいて、1月には能登半島地震があり、傷を負っておられる方々がおられます。また、教会におきましても、愛する者を、家族をあなたのみもとに送りました。どうか、全ての出来事の中に、主が命の御手をもって私たちを捉え続けてくださいますように。エベン・エゼルの石を積み重ねていく歩み、主が私たちを助けてくださったと告白しつつ、礼拝者としての歩みをこれからもお守りください。アーメン。

12月27日(金) マルコによる福音書14章3節「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」

恵み深い天の父なる神さま、あなたは私たちを愛するがあまりに、御子をこの世に送られ、御子はご自身のいのちを私たちに与えてくださいました。今年も多くの賜物をあなたに求め、実際に願ったものをいただきました。せめて、心からの感謝を示す人にならせてください。あなたのために時も賜物も、惜しまずにお献げすることができるように私の信仰を整えてください。レプトン銅貨2枚でさえ、それが真実な信仰と感謝の表れであるのなら、あなたは喜んで受けてくださいます。壷を割り、心ばかりの感謝をあなたに献げます。あなたからいただいたものを振り返り、私の賜物をあなたに献げることができますように。アーメン

12月26日(木) ローマの信徒への手紙8章32節「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」

恵み深い天の父なる神さま。どうか私を憐れんで助けてください。御子さえも惜しまず与えてくださったあなたでありますから、御子と共にすべてのものを与えてくださると教えられています。あなたにはお出来にならないことは一つもありません。ですから、どうかあなたの憐れみのゆえに、私の小さな願いを聞いてください。信仰をもってあなたに祈っていることに耳を傾けてください。あなたが真実に愛なるお方であることを、十字架と共に、日常の中で見せてください。アーメン

12月25日(水) 詩編103編2節「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」

父なる神さま。一年を振り返り、どれほどの良きものをあなたからいただいたのでしょう。ただ漠然と、あなたは恵み深いというのではなく、赦された罪の一つ一つ、癒やされた病、乗り越えることができた試練、心のうちに感謝の出来事をよみがえらせてください。あなたがあわれみ深い方でなかったとしたら、私たちは滅びるだけの一生を過ごしていたはずです。あなたがクリスマスにくださったイエスさまという恵みを忘れるな、と、私もまた自分のたましいに刻みます。恵みあふれる一年を素通りする者となりませんように、憐れんでください。

12月24日(火) 第二コリント8章9節「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」

天の父なる神さま。あなたが馬小屋で生まれ、羊飼いの礼拝をお受けになり、漁師や取税人を弟子とし、病める者や悩める者に手を差しのばしたことを恵みとして私はわかっているでしょうか。あなたは、富んでおられたのに、その栄光を捨てて、貧しくなられました。私が富む者になるために。私たちは病める者、悩める者にすぎません。あなたの恵みによって私を富ませてください。あなたがこんなに愛してくださっているのに、自分の惨めさしか見つめません。イエスさまの恵みによって輝いていると自分がわかるように、霊的な洞察を与え、今日のイブ礼拝に向かわせてください。

12月20日(金)ルカによる福音書 2章36〜38節

天の父なる神さま。この世の物差しであなたは私たちを測ったりしないことを、あなたはクリスマスに明らかにしてくださいました。ただ私たちが存在し続けることを、あなたは喜びとしてくださいます。私たちが永遠に存在し続けるために、イエス様がこの地にお生まれになってくださった、その神様の愛が今日も私たちを守ってくださいますように。

12月19日(木)ルカによる福音書 2章25〜35節

天の父なる神さま。私たちが、シメオンのように、今日も安心してこの地上を生きていくことができるのは、イエス様が十字架に、身代わりとなって死んでくださったからです。与えられた1日をシメオンのように過ごすことができますようお守りください。

12月18日(水)マタイによる福音書 1章18〜24節

天の父なる神さま。私たちを愛することを決意してくださった神様が、王の座から降りて、御子イエス様としてこの地上に生まれてきてくださったことを感謝いたします。人と同じ、私たちと同じ痛み、悲しみを経験してくださったからこそ、あなたはインマヌエル、共にいてくださる、と。そのような神さまの愛が今日も私たちの歩みのうえにありますように。

12月17日(火)ヨハネによる福音書 3章16〜21節

天の父なる神さま。私たちは、あなたを宿屋にも泊まらせず、いらないと言ってしまったその罪を悔い改めます。いらないと言って十字架に架けてしまった罪を心から悔い改めます。どうぞ、今日も私たちの心にいつまでもお泊りくださいといつでも言えるような信仰を与えてください。私たちの歩みを今日もお守りください。

12月14日(金)コリントの信徒への手紙二 1章3〜7節

天の父なる神さま。苦しみや弱さを通して、あなたが愛を示してくださる、というのであれば、それらを大切にすることが今日もできますように。十字架の苦しみを通して、私たちの全ての苦しみを理解し傍に立ち、叫んでくださる主の愛が今日もありますように。

12月13日(木)コリントの信徒への手紙15章12〜20節

天の父なる神さま。死者の復活などないと思わせるような、神の恵みなど存在しないと思わせるような出来事が私たちを襲います。そのような弱い私たちを、復活のイエス様が今日もお支えくださいますように。愛する者を天へ送った者に復活の主が今日も出会って憐んでくださいますように。

12月12日(水)コリントの信徒への手紙15章1〜10節

恵み深い天の父なる神さま。この世界においてあなたの力が届かない場所など、どこにもないことを忘れることがありませんように。私たちの今日の小さな歩みの一つ一つに見えない暖かな手を持って今日も、どうぞお支えください。そしてその主の御手に気づくことができますように。

12月11日(火)コリントの信徒への手紙13章4〜7節

恵み深い天の父なる神さま。イエス様が私たちを忍耐してくださったように、私たちも忍耐し、愛することができる人間へと私たちを作り変えてください。愛される者から愛することのできる人間へと私たちを作り変えてくださいますように。

12月6日(金)コリントの信徒への手紙12章22〜26節

恵み深い父なる神さま。十字架におかかりなることによって、私たちよりも、弱くなってくださったイエス様を見つめながら、それによって優しさを取り戻して、今日も過ごしていくことができますようお守りください。

12月5日(木)コリントの信徒への手紙12章12〜18節

天の父なる神さま。今日も私たちが一つの体からなる共同体のようになることができますようお守りください。足を怪我すれば、手で覆うように、全身の調子が悪ければ、全体に気を使うように、イエス様ならどうするだろう、という視点を今日も見失うことがありませんようお守りください。何よりも、私自身もまた助けを必要とする弱い存在だ、ということを忘れることがありませんように。

12月4日(水)コリントの信徒への手紙12章1〜7節

父なる神さま。今日もあなたは、私たち一人一人に役割や使命を与えてくださり、感謝いたします。あなたから与えられた賜物や働きは様々です。聖霊なる神様の助けを経ながら今日も互いに支え合う私たちの歩みとしてくださいますように。

12月3日(火)マタイ福音書2章9〜12節

恵み深い天の父なる神さま。御子イエス様がお生まれになった時から、すでに十字架にかかることが預言されていたことを思う時、父なる神様のその決意に驚きを隠せません。御子を失ってでも私たちを愛し、救うという神様の愛が今日も私たちを守ってくださいますように。また、この神さまの愛に応えて生きることができますように。

11月29日(金)マタイ福音書2章1〜8節

父なる神さま。誰かよりも優れていたいという気持ちが少しでもあるならば今日も神様がそれを沈めてくださいますように。十字架にかかりイエス様が負けてくださったことによって、私たちは頑張れない時でも愛されていることが分かりました。私たちの痛みを知っていてくださる主が今日も私たちの歩みを守ってくださいますように。

11月28日(木)ルカ福音書2章9〜20節

恵み深い天の父なる神さま。主イエスの母マリアのように、すぐに受け止めることのできない出来事を私たちは経験します。その時に、マリアのように、いつかそれを恵みとして受け取ることができるように、その出来事を宝のように心に納め続けることができるよう私たちの今日の歩みをお守りください。

11月27日(水)ルカ福音書2章8〜14節

恵み深い天の父なる神さま。 私たちは、飼い葉桶のように、誰にも見せることができないような汚れた部分をもっています。しかしそこに、イエス様が生まれてくださり、その闇と痛みに触れて包んでくださいました。それと同じ神様の愛に今日も私たちが包まれて、過ごしていくことができますようお守りください。

11月26日(火)ルカ福音書2章1〜7節

恵み深い天の父なる神さま。あなたは、羊飼いとの出会いを通して、全ての者に出会ってくださることを示してくださいました。私たちが孤独を感じる時でさえも、目には見えませんが、今日も支えてくださっていることを覚え感謝いたします。

11月25日(月)創世記 6章9〜22節

この世界と歴史を守り導かれる神さま。あなたの限りない愛と恵み、そして忍耐と赦しのもとで、わたしたち、すべてのものが生かされていますことを覚え、深く感謝をいたします。この世界を統治される神さまに信頼し、一切を委ねて生きる信仰者のあるべき姿をノアに見、また義であり愛であられる神さまの御心と救いの御業を御言葉に聞きました。神さま、あなたの言葉は、わたしたちの立ちかえりをいつもあなたが待っていて下さることを告げ、イエスさまによる救いの道が開かれていることを教えてくれます。それゆえこの一週間も、他でもない神さまの御声に聞き従い歩めますよう、わたしたちの生に介入し導いて下さい。 主の御名によってお祈りいたします。アーメン。

11月22日(金)コリントの信徒への手紙一 4章8〜13節

教会の頭、主イエス・キリストの父なる神さま。イエス様が私たちのために屑(13節)となってくださいましたから、王様のような自己中心的な生き方から今日も私たちが解き放たれていきますようお守りください。家族の中心に、学校生活の中心に、職場の中心に、今日も主が働いて、導いてくださいますようお願いいたします。

11月21日(木)コリントの信徒への手紙一 3章18〜23節

恵み深い天の父なる神さま。生きるにしても、死ぬにしても、私たちはあなたのものとされています。私たちがどんなに悩んでも、迷ってもあなたは私たちを、誰にもわたしたくない宝の民としてくださっていますから、そのことに喜びを覚えつつ、過ごしていくことができますようお守りください。

11月20日(水)コリントの信徒への手紙一 3章4〜9節

父なる神さま。あなたが私たちそれぞれに、種を蒔く役割、水を注ぐ役割という一つとして欠けてはならない必要な使命を与えてくださって、生きる力をくださって感謝いたします。今日も私にしかできない使命があるのですね。 畑全体に気を配ってくださる主を覚えて過ごせますよう、お守りください。主の御名によって。アーメン。

11月19日(火)コリントの信徒への手紙一 1章26〜31節

恵み深い天の父なる神さま。私たちの中に、誇れるものなど何一つとしてないことを今日も教えてください。あなたの力、助けがなければ、私たちは立つことさえ難しいですから、あなたが今日も私たちに力を注いでくださいますように。

11月15日(金)コリントの信徒への手紙一 1章10〜13節

天の父なる神さま。目覚めを今日もありがとうございます。考えてはいけないことを私たちはそれでも考えてしまうことがあります。しかし、それに歯止めをかけるために、主が十字架の上で、荊の冠をかぶり、血を流してくださったことを今日、覚えます。今日も私たちが十字架の主、イエス様に信頼して歩む1日となりますように。

11月14日(木)テモテへの手紙一 5章1〜2節

天の父なる神さま。今日も気づかないうちに自分を自分で追い込んでしまうことがないようにお守りください。何よりも、あなたが備えてくださった神様の家族と共に、互いに失敗の共有ができる、愛のある歩みを私たちができるように、今日も私たちの中心にあなたが立ってください。

11月13日(水)テモテへの手紙一 4章11〜16節

父なる神さま。自分の生き方がそのまま働く姿に映し出されるのであれば、どうか今日も私たちが自分自身に気を配り、心を向けていくことできるようお守りください。その姿を通して、神様の栄光が映し出されていきますように。

11月12日(火)テモテへの手紙一 4章6〜10節

恵み深い天の父なる神さま。テモテにしかできないやり方で、テモテにしかない賜物で人々に教えなさいとありますように、私たち一人一人にも、その人にしかできない役割と賜物を一人一人に与えてくださり、感謝いたします。互いに教え合い、励まし合う今日の私たちの歩みとなりますように。

11月8日(金)コリントの信徒への手紙二 4章16〜18節

父なる神さま。目に見えるものが全てではないことを今日も教えてください。目に見えるものを通して、見えない神様の愛を受け取ることができますよう、今日も私たちの歩みをお守りください。

11月7日(木)テモテへの手紙一 1章12〜17節

天の父なる神さま。今日も、神様が私たちに与えてくださった恵みの数々を思い起こしながら過ごすことができますようお守りください。パウロのように過去の自分にとらわれる事なく、今を導いてくださる神様を信頼して私たちの1日としてくださいますようお願いいたします。

11月6日(水)テモテへの手紙一 1章3〜7節

天の父なる神さま。私たちは自分中心に物事を判断しがちです。そうではなく、イエスさまだったらどうするだろうと神様の視点をもって今日も健やかに過ごすことができますようお守りください。

11月5日(火)フィリピの信徒への手紙4章10〜14節

天の父なる神さま。今日もあなたが備えてくださる様々な出会い、出来事を通して、パウロが友人との出会いを通して、神様の力を感じたように、私たちも神様に感謝をする1日となっていきますようお守りください。

11月4日(月)ヨハネ福音書5章19〜30節

父なる神さま。私たちが裁かれて、死んで終わらないために、あなたが自らの衣を御子イエス様の十字架の血によって赤くしてくださったことを感謝いたします。それゆえに、私たちが、裁きの日、終わりの日に白い衣を着ることができる。その喜びを覚えて、この新しい一週間もあなたと共に力強く歩んでいけますように。

11月1日(金)フィリピの信徒への手紙4章4〜9節

父なる神さま。いつも、神様の中で喜ぶことができますようお守りください。喜べないことがあっても、神様の中で平安に泣くことができますよう、今日も私たちをお守りください。

10月31日(木)フィリピの信徒への手紙3章12〜21節

天の父なる神さま。私たちは今日も、あなたが待っていてくださるゴールを目指して走り、与えられた務めを全うします。神様が抱きしめ、褒めてくださるというゴールが皆にあるというのであれば、今日も私たちは比較の世界の中に自分を置くのではなく、互いに助け合い、励まし合う、優しい世界の中を生きることができるように、お支えください。

10月30日(水)フィリピの信徒への手紙2章25〜30節

天の父なる神さま。私たちもパウロの友人であるエパフロディトのように、最善を尽くす者となることができますように。人の目からは中途半端な働きだ、と指さされても、神様がその働きを喜んで祝してくださったように、私たちの一つ一つの小さな今日の働きを喜んでくださいますことをありがとうございます。

10月29日(火)フィリピの信徒への手紙2章12〜18節

父なる神さま。この週も、神様と一緒に走り抜けることができますよう、お守りください。どんなことにも最善を尽くすことができますようお守りください。最善を尽くす時、周囲にも奇跡が起こっていることを信じ、今日も歩めますように。

10月28日(月)ルカによる福音書24章13〜35節

父なる神さま。死の力によって、愛する者を失うということを経験することによって、私たちの目は遮られます。暗い顔になります。しかし実は、蘇りの主は私たちに声をかけ続け、共に歩いていてくださいますから感謝します。信仰の先達たちも時に人生に暗い顔をしながら、しかし、その先にいてくださる主と共に生き、最後には死を乗り越えました。今その命は天の故郷にあります。私たちの本国は天にある。私たちの本当の故郷、実家は天にある。そこに食卓があることに希望を持って、この地上を平安に歩み続けていくことができますよう、お守りください。

10月25日(金)フィリピの信徒への手紙2章1〜11節

天の父なる神さま。私たちは自分のため、自分のことを第一として考えがちです。しかし、今日、イエスさまが、自分のためでなく、私たちの為に十字架にかかってくださったことを思います。一人一人を大切にしてくださる主を思いつつ、私たちも主のように、全体に思いを寄せることができるよう守ってくださいますように。

10月24日(木)フィリピの信徒への手紙1章27〜30節

恵み深い天の父なる神さま。私たちの苦しみも、ご自身の痛みとして受け止めてくださる十字架のイエスさまに感謝をいたします。あなたの下からのお支えがなければ、今日でさえ私たちは生きていくことができませんから、今日も私たちを下から、十字架の主が支えてください。

10月23日(水)フィリピの信徒への手紙1章12〜21節

 私たちの生活や仕事の中には、思い通りにうまくいかないことが多くあります。しかし、パウロの獄中の中でさえ、神さまは動いてくださいました。同じ神さまが、今日も働いて、全体にとって益としてくださることを信じて歩めますようお守りください。

10月22日(火)フィリピの信徒への手紙1章3〜11節

父なる神さま。パウロは獄中の中で手紙を記しました。もしかすると今日、わたしたちはパウロのように、大変な状況の中に巻き込まれることがあるかもしれません。しかし、そんな中でも神様が与えてくださった恵みを数え上げながら過ごすことができますようお守りください。

10月21日(月)コリントの信徒への手紙一4章6〜13節

主イエスキリストの父なる神さま。 わたしの罪があなたの御子イエス・キリストに苦しみを与えてしまいました。しかし、それ以上に十字架には、罪人である私たちを慈しみ、救い出してくださろうとする愛がありました。感謝します。また、十字架は、私たちがキリストを死に追いやったのではなく、私たちを救う為に、あなたがなさった贖いの御業です。これを原動力として、今日も歩んでいくことができますように。あなたの十字架に寄りかかる私たちの罪を赦し、恥をおおい、悲しみと傷を癒してください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン

10月18日(金)ヤコブの手紙 5章12〜19節

天の父なる神さま。今日の私たちの歩みが、「罪を告白し合い」(16)、弱さを見せながらも、互いに励まし合い、前進していくものとなっていくようお守りください。主の御名によって。アーメン。

10月17日(木)ヤコブの手紙 5章1〜11節

父なる神さま。今日も、あなたが整えてくださった天国という場所を思いつつ、1日を過ごしていくことができますようにお守りください。私たちもイエスさまが準備してくださった天国を思うゆえに、優しさを持って全てのことに関わっていくことができますように。主の御名によって。アーメン。

10月16日(水)ヤコブの手紙 4章11〜17節

天の父なる神さま。霧のように小さな私たちの命に今日も目覚めを与えてくださり感謝いたします。私たちは今日も、計画を立てて生きていきます。「あれやこれを」しようと思います。その計画の最前線に主なる神様が今日も立って、導いてくださいますように。主が先頭に立ってくださるゆえに、謙遜に歩めますようお守りください。主の御名によって祈ります。アーメン。

10月15日(火)テモテへの手紙二 4章6〜8節

父なる神さま。私たちが今日も信仰のレースを走り切ることができるようお守りください。負け続けていたとしても、義の栄冠をあなたが必ず用意していてくださるならば、誰かと競い合うレース、信仰の歩みではなく、互いに助け合う信仰の歩みとしてくださいますように。主の御名によって。アーメン。

10月14日(月)創世記4章1〜16節6節

憐れみ深い、御在天の父なる神さま。あなたは御子イエスさまによって罪の支配にあったわたしたちを、キリストの御支配へと、神さまのうちに生きる者へとして下さいました。また、わたしたちの弱さを憐れみ、御言葉によって「顔を上げなさい」と御自分へと招き続けて下さいます。神さまの大いなる愛と御恵みとを、感謝いたします。どうかこの目を開き、理不尽に思えるこの世界の現実の中にも、わたしたちの思いを遙かに超えた神さまの御計画を、憐れみの御手の働きを悟らせて下さい。また、今困難の中にある方々、主の御名を呼び求めるお一人お一人に臨んで下さり、救いの御手を差し伸べて下さいますように。主の御名によって。アーメン

10月11日(金)ヤコブの手紙4章1〜10節

天の父なる神さま。悪魔はいつでも、私たちの心を乱します。自分さえ良ければ、という思いにさせます。自分の置かれた場所を自分の欲求を満たす場所にしてしまうことがないように助けてください。そういった思いを主が消し去ってくださり、いつも全体のことに配慮してくださる主の愛のもと、平安に今日を過ごさせてくださいますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

10月10日(木)ヤコブの手紙3章13〜18節

天の父なる神さま。今日も、あなたの助けがなければ、「温和で、優しく、従順なもの」(17節)になることはできませんから、守ってください。神さまの力が無くても、自分で何でもできると傲慢に自負してしまうことがないように、十字架に立ち返る1日となりますように。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

10月9日(水)ヤコブの手紙3章5〜12節

愛する天のお父さま。今日もあなたのお支えがなければ、私たちの口は汚れたままです。自らの言葉で自らを滅ぼしてしまうことがないよう、主の言葉によって私たちをお守りください。どうか今日もお助けください。自然に賛美と感謝が溢れてくるように、一人一人を守ってくださいますように。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

10月8日(火)ヤコブの手紙2章1〜6節

父なる神さま。私たちが今日も、イエスさまのように、分けへだてすることがないように、誰かを排除することなく、イエスさまのように、一人ひとりに愛をもって接することができるよう力をお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

10月7日(月)ヨハネによる福音書5章1〜18節

恵み深い天の父なる神さま、「良くなりたいか」と、わたしを見なさい、と優しく声をかけてくださる救い主イエス様の声に、今日も気づけますように。あなたは私たちを見て、知って、語りかけてくださるお方です。私たちには、諦めかけているような問題、私たちが行き悩む様々な課題があります。しかし、わたしを見なさい、とやさしく招いてくださる主よ。それに応じる素直さを、あなたに対する信仰を今日も私たちにお与えください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン

10月4日(金)ヤコブの手紙一 1章22〜27節

恵み深い天の父なる神さま。今日も目覚めをありがとうございます。日々の中で、舌を制することの難しさを思います。気づかないうちに人を呪ってしまう言葉が出てきてしまう弱い私たちです。しかし、私たちの舌も神様に造られたものですから、本来の私たちのあるべき姿に戻ることができますよう今日もお守りください。主を賛美し、互いに励まし合う私たちの舌でありますように。

10月3日(木)ヤコブの手紙一 1章2〜8節

天の父なる神さま。私たちの歩みには試練が多すぎます。今日もどんな試練があるのでしょうか。不安になります。しかし聖書は、ヤコブを通して「それをこの上ない喜びと思いなさい」と言います。試練を歯を食いしばって我慢するのではなく、神さまが私たちを成長させるために準備してくださった出来事だととらえ、神様の知恵を祈り求めて歩む1日としてくださいますように。

10月2日(水)ルカによる福音書24章50〜53節

父なる神さま。自分のことを否定してしまうことがあります。しかし、天に上げられていくエス様が、手をあげながら、あなたは非常に良いのだと、祝福してくださっている恵を覚えます。この祝福の光が、今日も私を包み込み、それによって前に進んでいくことができますように。

10月1日(火)ルカによる福音書24章36〜42節

恵み深い天の父なる神さま。復活の主は、弟子たちの前で焼いた魚を食べて見せるというユーモアを見せてくださいました。今日も、あなたが備えてくださる優しさとユーモアの中を私たちが生きていくことができますように。今日も復活のイエス様が、私たちの真ん中に立ち、「平和があるように」と仰ってくださいますから、ありがとうございます。今日も主の愛に守られて歩めますように。

9月30日(月)ヨハネによる福音書4章43〜54節

天の父なる神さま。私たちが人生の最後で叫ぶべきであったはずの言葉「主よ、なぜですか」という叫びを、主イエスが、代わりに十字架の上で叫んでくださったことを覚えます。それによって、私たちが本当の意味で、死を超えて、生きる者とされた恵を忘れることがないように、この新しい一週間も主よ、お支えください。

9月27日(金)ルカによる福音書24章13〜21節

父なる神さま。失望で目が遮られ、何も見えなくなっていたエマオの途上の弟子たちの姿に対して、復活したイエスさまは自ら近づき、立ち塞がるのでなく、弟子たちが離れていこうとする同じ方向に向かって共に歩いてくださいます。あなたは、無理やり振り向かせる、というやり方ではなく、悲しみに寄り添いながら共に歩いてくださいます。その神さまが今日も私たちを支えてくださいますことを感謝いたします。

9月26日(木)ルカによる福音書24章1〜12節

恵み深い天の父なる神さま。私たちは、悲しみのあまり、復活の主が見えず、走って墓を見に行ったペトロのように、亜麻布しか見えない時があります。しかし、その後、復活の主がペトロに出会ってくださったように、私たちの悲しみが喜びに変えられることを信じて、今日を過ごせますようお守りください。

9月25日(水)ルカによる福音書23章50〜56節

恵み深い天の父なる神さま。私たちは主イエスが十字架の上で罪の赦しを祈ってくださるその声を聞きました。神さまに赦された私たちですから、アリマタヤのヨセフのように、優しさを選びとって生きる今日としてください。また、ヨセフのような優しさに自分自身が触れた時、気づくことができるように、今日の歩みを神さまがお守りください。

9月24日(火)ルカによる福音書23章44〜49節

 父なる神さま。主の十字架によって、神殿の垂れ幕が裂かれたおかげで、私たちのようなものであっても、今日も神さまと出会い、共に歩めます幸いをありがとうございます。十字架の悲しみ、痛みを経験してくださった主です。あらゆる痛みをご存知の主が、私たちのことを今日も知っていてくださることを感謝いたします。

9月23日(月)マルコによる福音書10章13〜16節

父なる神さま。あなたから、罪の赦しも、復活の命も、ただただ与えられたものとして、子どものように受け取り、喜び続ける私たちの歩みとなりますように。あなたは、子どもたちに手を置いて祝福してくださったように、私たちにも、祝福の手をおいてくださいますから、ありがとうございます。天国をまっすぐに見る心を与えてください。 新しい一週間も、神様のお守りの中を、安心して過ごしていくことができますように。

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