
今週の聖書の言葉と祈り
今週(月曜〜金曜)の聖書の言葉と祈り
皆さまの一週間の歩みが神さまの御手によって守られますように。一緒に聖書を開いて、新しい1日を始めましょう!
7月2日(水) ヨハネによる福音書18章19〜27節
恵深い天の父なる神様。あなたは私たちの前に行って、守るため、私たちの弱さを庇い、今日の聖書と同じように「わたしだ」と仰ってくださいます。そのような神様の愛が今日も豊かに私たちの上に注がれていきますように。
6月26日(木) ヨハネによる福音書17章6〜11節
天の父なる神さま。様々な重荷や課題があっても、イエス様によって今日も祈られ、支えられている恵み(11節)を見失うことなく歩んでいけますよう、お守りください。イエス様の祈りが私を、家族を、隣人を、支えてくださいますように。そして私も誰かのために執りなしの祈りをささげることができますように。
6月24日(火) ヨハネによる福音書16章28〜33節
天の父なる神さま。私たちの喜びだけでなく、苦しみをも知っていてくださる主が私たちを今日も支えてくださいますからありがとうございます。十字架の苦しみの故に、私たちの地上で経験する苦しみを手にとるようにわかってくださる主が「勇気を出しなさい」と仰ってくださいます。感謝いたします。主と共に今週も歩むことができますように。
6月20日(金) ヨハネによる福音書15章1〜5節
天の父なる神さま。私たちは何事も自分の力でなすことはできません。「わたしにつながっていなさい」と仰ってくださった主にとどまり、あなたの支えと力ゆえに、一つ一つの試練や困難を乗り越えたり、向き合ったりしていくことができますよう、この1日をお守りください。
6月19日(木) ヨハネによる福音書14章1〜7節
天の父なる神さま。あなたは私たちに一つの確かな道( 6節)を備えて今日も共にいてくださいます。様々な困難や課題がありますが、全てにおいて天の国を備えてくださった主の愛が今日も私たちの上に豊かに注がれていきますように。
6月18日(水) ヨハネによる福音書13章31〜38節
天の父なる神さま。私たちの心は不安定かもしれません。裏切ってしまう心さえあります。それでも尚、尚、愛し抜いてくださる主の愛が今日も私たちの上に豊かに注がれていることを覚え、平安を取り戻し、歩んでいくことができますように。
6月13日(金) ヨハネによる福音書12章27〜36節
天の父なる神さま。今日もあなたが一人一人の、私たちの歩むべき道を光として照らしてください。どんなに大きな暗闇、不安や恐れも、イエス様の光には勝てないんだ、ということを忘れずに今日も過ごせますようお守りください。
6月11日(水) ヨハネによる福音書12章12〜19節
天の父なる神さま。あなたがエルサレムに入城された時、あなたは馬ではなくロバに乗られました。ロバに乗るあなたであれば、心に傷を負っていて早く走ることができない私でも、ついていけそうな気がします。わたしたちと歩幅を合わせて歩んでくださる主が今日も共にいてくださることに感謝をして、今日も過ごしていけますように。
6月10日(火) ヨハネによる福音書12章1〜7節
天の父なる神さま。マリアがイエス様に香油を注ぎ、その良い香りは十字架まで持ち運ばれました。マリアはそんなこと思ってもみなかったでしょう。これと同じように、今日もあなたは私たちのなす一つ一つのことに意味と意義を与えてくださいます。一人一人の命を通して、神様の最善が今日もなされていきますように。
6月6日(金) ヨハネによる福音書11章28〜37節
天の父なる神さま。もう手遅れだ、間に合わないと思ってしまうことが私たちの人生にはあります。特に命は取り返しがつきません。しかし主にあっては、ラザロを復活させたように、手遅れなどないことを私たちが知ることができますように。何度でもやり直せる、その神様の愛を今日も知ることができますように。
5月30日(金) ヨハネによる福音書9章1〜7節
天の父なる神さま。あなたの十字架のゆえに、私たちの生きる世界に本当は暗闇が無くなったことを今日も教えてください。目に見えないものにこそ、本当の価値があることを教えてください。
5月29日(木) ヨハネによる福音書7章37〜39節
天の父なる神さま。今日も私たちの魂は乾いています。あなたの御言葉によって私たちを潤してください。あなたの限りなく深い愛が私たちを今日もとらえて、魂の飢え渇きを癒され、平安に今日も過ごすことができますように。
5月23日(金) ヨハネによる福音書6章66〜71節
天の父なる神さま。「あなたは私からは離れることができない」(67節)と言ってくださるほどに私たちのことを必要としてくださる主が今日も共にいて、信頼しつつ歩んでいけますようお守りください。
5月21日(水) ヨハネによる福音書6章16〜21節
天の父なる神さま。何をなすにしても、イエス様と共になければ、目的地には辿り着けず、目標を達成することはできないことを今日も教えてください。いつでも、どこでも、「恐れることはない」と声をかけてくださる主を覚え、安心して過ごせますように。
5月20日(火) ヨハネによる福音書6章1〜11節
天の父なる神さま。私たちは、今日も、聖書に出てくる少年のような小さな働きしかできないかもしれません。しかし、神様はその働きを顧みて、用いて、何倍もの恵みとしてくださいますからありがとうございます。神様のため、隣人のため、今日も私たちが用いられていきますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
5月16日(金) ヨハネによる福音書4章43〜53節
天の父なる神さま。今日も、私たちが負っている全ての重荷をあなたにお委ねすることができますように。「あなたは生きる」と仰ってくださったイエスさまが言葉に責任をもって十字架までまっすぐに歩いてくださいましたから、私たちも、命に関わることや全ての重荷を主に委ねながら今日もあなたと共に歩んでいけますように。
5月15日(木) ヨハネによる福音書5章1〜9節
天の父なる神さま。様々に問題や課題、重荷を負い、競争社会の中を歩んでいる私たちですが、そんな私たちに憐れみの目を注ぎ、「良くなりたいか」と優しく声をかけてくださる主なる神様に感謝します。今日も様々な出来事を通して憐んでくださる神様の愛に気づくことができますように。
5月14日(水) ヨハネによる福音書2章13〜22節
天の父なる神さま。見えるものよりも、見えないものにめを注ぎ、大切なものに気づいていくことができますようお守りください。神殿で売られていた動物の犠牲では赦されないほどの罪を抱えた私たちのために、御子であるあなたは十字架へと向かってくださいました。赦された者としての歩みを今日もなしていくことができますように。
5月13日(火) ヨハネによる福音書2章1〜11節
天の父なる神さま。今日もあなたによって与えられた務めを淡々と果たしていくことができますようお守りください。そこに、水がぶどう酒に変わるほどの大きな恵みが備えられていることを忘れずに過ごせますようお支えください。
5月9日(金) ヨハネによる福音書1章19〜23節
天の父なる神さま。目覚めを今日もありがとうございます。 私たちは、自分の至らなさに嫌気がさし、別の誰かになろうと頑張ろうとします。しかし、そんなことをせずとも、「わたしはあなたを愛し、あなたと共にいる」と神様はイエス様の命を通して教えてくださいますからありがとうございます。洗礼者ヨハネのように、「わたしは救い主ではない」と応えて生きる謙虚さを今日もお与えください。
5月8日(木) ヨハネによる福音書1章14〜18節
天の父なる神さま。人の目から見れば十字架は負けにしか見えません。しかし、負けとされるところ、寂しいと思えるところにこそ、本当の価値あるものがあることに気づいていくことができますようお守りください。
5月7日(水) マタイによる福音書10章34〜42節
天の父なる神さま。命をかけて私たちを愛してくださった神様の愛が今日も私たちの上にありますように。時に家族や家族ほどに近しい関係に亀裂が生じることがあります。しかしそんな時に、私たちのために命をかけて死の力と戦ってくださったイエス様の愛を見失うことがありませんようお守りください。イエス様の愛が私にも与えられていることを思い出す時、家族や隣人もまた、イエス様が与えてくださったものであると今日も受け止めることができますようお守りください。
5月2日(金) ヨハネによる福音書1章1〜5節
天の父なる神さま。あなたは真実なる「言」によって世界を、私たちの命を創造してくださいました。私たち人間の言葉は、言の葉と漢字であるように、葉っぱのようにユラユラ揺れ動く不安定なものです。そんな不安定な私たちを揺れ動かない神様の言が今日も支えてくださいます。天の国に行けるよう、イエス様が十字架に向かってくださいます。私たちのためにそこまでして愛してくださる、ということを約束を破らず最後まで貫いてくださいました。この揺らがない神様の愛に支えられて今日も私たちが過ごしていけますように。
4月30日(水) マタイによる福音書10章26〜33節
天の父なる神さま。私たちの髪の毛一本ずつを知っていてくださるほどに、私たちのことを丁寧に愛し、見えないところまで愛してくださる神様の愛が今日も私たちの上にありますように。主とともにあれば、魂までは滅ぼされることのない恵みを覚えて今日も過ごさせてください。主の御名によって。アーメン。
4月29日(火) マタイによる福音書10章1〜4節
天の父なる神さま。あなたは私たちの必要なことを今日も知り、私たちに与えてくださいますからありがとうございます。また、あなたは、選ばれる根拠のない私たちを自ら選び取ってくださって、今日も私たちがここにいる恵みを覚えます。あなたに選ばれ愛されていることを今日も覚え、不安や恐れ、憎しみという汚れた霊に打ち勝っていくことができるようお守りください。
4月25日(金) ルカによる福音書24章44〜49節
恵み深い天の父なる神さま。復活したイエスさまは、疑う弟子たちを叱ることなく、十字架で穴のあいた手と足を見せてくださいました。信じることができるような手助けをイエスさまは私たちにしてくださいます。目でイエスさまが見えなくても、聖書の言葉によって心の目を開き、私たちに出会ってくださる主がいてくださることを覚えて今日も平安に過ごさせてください。
4月24日(木) ルカによる福音書24章28〜43節
教会の頭、主イエス・キリストの父なる神さま。エマオの途上において、二人の心が燃えたのは、聖書の言葉が語られたからです。イエスさまは二人を礼拝に戻そうとなさり、そこでなさったことは聖書の説教と、パンを裂く(聖餐)ことでした。心燃えた二人は再びキリストを分かち合う信仰の交わりの中へ戻されます( 33節)。聖書が分かち合われるところの真ん中にイエスさまは立ってくださいます。イエスさまが真ん中に立つところ(礼拝)で、弟子たちの、私たちの信仰は蘇ります。イエスさまが真ん中におられる時、私たちには平安がもたらされます。今日も私たちの心に赦しと平安がもたらされることを願ってくださるイエス様の愛に支えられて歩んでいけますように。
4月23日(水) ルカによる福音書24章13〜27節
天の父なる神さま。今日与えられました箇所には、二人の弟子が信仰から離れていこうとする場面があります。イエスさまが十字架に架かったからです。既に復活の知らせを聞いていましたが(22-23節)、信じられず、なお信仰から離れていこうとする二人の姿があります。イエスさま以外の何かに心が奪われ、失望する弟子たちの姿にも関わらず、イエスさまは自ら近づき、立ち塞がるのでなく、離れていこうとする方向に向かって共に歩いてくださいます。私たちを諦めない主のお姿に気づきます。あなたは奇跡を見せるという仕方ではなく、聖書の解き明かしから御自身の復活を明らかにしました(27節)。決して見捨てない神さまの愛を今日も御言葉から受け取り続けることができますように。
4月22日(火) ルカによる福音書23章56b〜24章12節
天の父なる神さま。婦人たちは週の初めの日(1節)、日曜日に「輝く衣を着た二人」(4節)を通して悲しみを吹き飛ばす声、イエスさまは生きており、復活したという声を聞きます。けれども弟子たちは戯言だと言って信じません(11節)。ペトロも信じない故に、墓の奥には行かず、身をかがめてのぞいただけでしたが、亜麻布しかないことに気づきます。私たちも喪失感で亜麻布しか見えない時があります。しかしイエスさまの復活は、戯言だと思ってしまう理解から信仰へと連れていく力があります。あなたは、喪失感を抱えた私たちの信仰をも復活させくださるお方なのだという確信を忘れずに今日も過ごせますように。
4月21日(月) ルカによる福音書23章50〜56a
天の父なる神さま。今日の聖書に記されるアリマタヤのヨセフは、イエスさまが十字架に架けられることに同意していませんでした。議決を棄権したのか、或いは議会自体を欠席したのかもしれません。どちらにしても、十字架の前に無言でいた罪人の姿があります。しかし、ヨセフは十字架上で罪の赦しを祈るイエスさまの声を聞きました(34節)。その声を聞いて、ヨセフはイエスさまの遺体を自分の墓に納めました。十字架の死を深く受け止め、悔い改めるところに、永遠の勝利がもたらされることを、私たちが今日も忘れることがありませんように。
3月25日(火) ルカによる福音書11章24節
天の父なる神さま。今日も平安に過ごせますようお守りください。この地上には善に見える悪があります。羊の皮を被った狼の存在があります。そのような悪から、誘惑から私たちを今日も守り、信仰を確かなものとして、お支えください。主の御名によって。アーメン。
3月19日(水) マタイによる福音書8章18〜27節
天の父なる神さま。私たちは今日も船に乗り目標を目指して歩んでいきます。様々な困難があるかもしれません。しかし、この船の中にイエス様がいてくださっていることに安心をして、歩んでいくことができますようお守りください。昨日は幼稚園で卒業式が行われました。33名の子どもたちがイエスさまと共に船に乗り新たな場所へ向かいました。子どもたちのうえに、そのご家族のうえに、主のお導きと守りがありますように。主の御名によって。アーメン。
3月12日(水) コリントの信徒への手紙二1章15〜22節
恵み深い天の父なる神さま。私たちが綿密に立てる人生の計画や教会の計画は、然りと否、はい、といいえがいつも混在していて、故に不安定になり、時には生きる意味や目的さえも見失ってしまいそうになります。しかし、聖書が同時に言うのは、父・子・聖霊なる神が天地創造以前から臨在しており、この3つにして一つなる主なる神様が、総がかりで私たちの人生の初めから終わりまで支え、導くという恵みです。この神の然りにしっかりと支えられ、今日も平安に歩んでいくことができますように。
3月11日(火) ルカによる福音書22章31〜34節
天の父なる神さま。東日本大震災から今日で、14年が経ちます。過去には、阪神淡路大震災、熊本地震、昨年は能登半島地震がありました。一つ一つの痛みに寄り添える今日でありますように。今日だけでなく、これからも悲しみと苦しみを覚えている者の上に、イエス様の祈りと癒しの御手が今日もこれからもありますように。私たちもイエス様の祈りに今日も支えられて今があることを感謝します。あなたは「信仰がなくならないように」祈ってくださいました。生きることの意味、愛することのすばらしさをあなたが今日も私たちに教えてくださいますようお願いいたします。主の御名によって祈ります。
3月7日(金) コリントの信徒への手紙二1章12〜14節
恵み深い天の父なる神さま。自分の人生、家族、様々な歩みにおいて、変更に変更を重ねることを余儀なくされることがあります。突然の変更によって、見上げるべきものを見失い、誇るべきものを見失ってしまう弱い者です。しかし、神の国を信じ抜くあなた方なら、主イエスが来られる終わりの日に必ず、その変更の意味を理解できる時が来る、と仰ってくださる主の言葉に信頼して歩んでいくことができますように。私たちが誇るべきは、私たちの歩みが突如として変更を余儀なくされたとしても、それでも、終わりの日まで最後まで私たちの罪を背負い、贖い、復活の命へと導いてくださる主です。そのことを、内に刻みつけて、歩めますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
3月6日(木) コリントの信徒への手紙二 1章8〜11節
天の父なる神さま。私たちは苦しみや痛みのあまり、私たちは、エリヤやパウロのように、自分を追い込んでしまい、あなたの助けを求めるよりも、自分の死を願ってしまう弱い者です。しかしあなたはエリヤに今最も必要であった、食事と睡眠を用意してくださったように、私たちにも今最も必要なものをご存知のお方です。どんな時も、そのあなたに信頼して依り頼む人生でありますように。パウロに苦しみの時間を与えたように、私たちの人生にも苦しみや悩みがあることをあなたは否定されませんでした。しかし、この時間があるからこそ、私たちはあなたに近づくことができる。そして、あなたは私の傍に立ち続けてくださっていた、ということに気づくことができます。現在の苦しみや悩みは、将来私たちに現される栄光に比べると取るに取らない、復活の命の道へ通ずる喜びが必ず待っているということを今日も忘れることがないようお守りください。主の御名によって。アーメン。
3月5日(水) コリントの信徒への手紙二 1章1〜7節
恵み深い天の父なる神さま。私たちの人生には、苦しみがあるということをあなたは否定されませんでした。けれども、その中に、あなたは私たちの傍にたち、共に嘆いてくださる十字架の御子イエス様を与えてくださいました。この慰めは、人生におけるどんな苦しみにも遥かに勝っています。苦しみの中で、力を発揮してくださる主の恵みを、これからも礼拝を通して、兄弟姉妹を通して味わう人生としてください。この苦しみが、復活の道へと通じているという大きな恵みを今日も忘れることがありませんように。
3月3日(月) ヨハネ福音書7章37〜39節
天の父なる神さま。御名を賛美いたします。父なる神が御子を復活させ、父と子が聖霊を通して、私たちを御言葉の水で養い、潤し、復活へと導くとあなたは約束してくださいました。父・子・聖霊なる三位一体の神が総がかりとなって、私たちの歩みは今週も守られていることに安心して、一週間を過ごすことができますように。主の御名によって。アーメン。
2月26日(水) 詩編23編1〜6節
天の父なる神様。羊飼いであるあなたが今日を私たちを導いて養ってくださいますように。あなたが共にいてくださっているからこそ、私たちは恐れるものは何もありません。あなたと共に生涯を歩んだ先に、あなたは食卓を整えてくださいますから、感謝いたします。天の国に生きる喜びを覚えつつ、今日を平安に過ごせますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
2月25日(火) 創世記9章1〜17節
天の父なる神様。あなたは御子イエス様の十字架を通して、私たちと新しい契約を結んでくださいました。虹を見る度に思い起こすことができますように。雨(レイン)のように降る矢(ボウ)のような裁きを罪人である私たちが受けるべきでした。しかし、矢は天に放たれ、主がその裁きを受けてくださいました。贖いの主が私たちを今日も導いてくださいますように。主の御名によって。アーメン。
2月21日(金) マタイによる福音書8章1節〜 4節
天の父なる神様。重い皮膚病を患っている人が家族からも社会からも断絶されていたのと同じように、私たちも自分ではどうすることもできない問題課題を抱え、それによって人との関係が回復されないままでいる自分の姿を思います。しかし、そのような私たちにあなたは、「よろしい」(3節)、つまり「わたしは望む」と仰ってくださって、破れた人間関係を回復し、神様との関係を回復してくださいました。今日もあなたの助けを求めつつ歩むことができますよう、お守りください。主の御名によって。アーメン。
2月20日(木) マタイによる福音書7章24節〜 27節
天の父なる神さま。私たちが今日も倒れてしまうことがないように下からお支えください。私たちは見える部分だけを見栄え良く見せようとし、見えない土台の部分をおろそかにしがちです。見えない土台の部分に、イエス様が教えて下さった、愛、赦し、感謝、互いに助け合う心等を忘れることがないようにお守りください。主の御名によって。アーメン。
2月19日(水) マタイによる福音書7章15節〜 23節
天の父なる神様。傲慢さを捨てることができますように。自分の内側に誇れるものなど何一つないことを主が今日も教えてください。「良い木」であるイエス様の助けと支えを頂きながら、天へと続く道を今日も歩んでいくことができますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
2月18日(火) マタイによる福音書7章13節〜 14節
天の父なる神様。天国へ通ずる門は「狭い」と聖書にありますから、手放すべきものを手放す勇気を今日もお与えください。必要なものは今日もあなたから与えられています。天への道を切り開いてくださったイエス様と共に祈りつつ、歌いつつ歩んでいけますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
2月14日(金) マタイによる福音書7章7節〜 12節
天の父なる神さま。あなたは「求めなさい」、門を叩き続けなさい、と仰ってくださいますから、今日私たちが胸に抱えている問題や課題があるならば、それらを携えて、主に向かって問い続け、応答を求め続けるような歩みをなしていくことができますようお守りください。また同時に、私たちの歩みにおいて、必要なものが既に与えられていることに感謝しつつ歩んでいくことができますように。主の御名によって。アーメン。
2月13日(木) マタイによる福音書7章1節〜6節
天の父なる神様。自分の愚かさにも気づかず、私たちはすぐに、隣人を捌いてしまう愚かで罪深い者です。人を裁くことにより、まるで自分が正しいかのような錯覚を覚えてしまいます。あなたに愛されているからこそ、誰かと比べる必要はないことを今日も忘れることがありませんように。どうか今日も私たちが、イエス様のように、裁かず、互いに赦しにいきることができますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
2月11日(火) マタイによる福音書6章19節〜24節
天の父なる神さま。今日も過ぎ去りゆくものを宝としてしまうことがないようにお守りください。神様と富の両方に仕えることはできないことを今日も教えてください。私たちの罪を赦して天への道を切り開いてくださった御子イエス様こそ本当の宝であることを心に刻み、あなたと共に今日も過ごすことができますように。主の御名によって。アーメン。
2月10日(月) ヨハネによる福音書7章32節〜36節
恵み深い天の父なる神さま。私たちは生きていく中で、生きづらさを覚えて、救いを探し出そうとします。しかし、それ以上に、情熱を持って迷い子であった私たちを捜し出してくださる主に感謝いたします。この新しい一週間も心を騒がせることなく、父のみもとに住む所を準備してくださった三位一体の主なる神様のお支えのもと、安心して過ごせますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
2月7日(金) マタイによる福音書6章16節〜18節
天の父なる神さま。今日もあなたの御前において、偽善者のように暗い顔をしてしまうことがないようお支えください。あなたはすでに私たちのことを十字架で赦してくださいましたから、今日も顔を上げて、与えられた時間を喜んで、安心して過ごすことができますようお支えください。主の御名によって。アーメン。
2月6日(木) マタイによる福音書6章1節〜4節
天の父なる神様。イエス様は、誰にも気づかれず、誰にも賞賛されることもないまま、私たちのために十字架の道を進んでくださいました。私たちのために天に住まいを備えてくださいました。だからこそ、私たちも、どうかイエス様のように、評価や人の目のためでなく、目の前の子どもたちのために、隣人のために、今日与えられた務めを純粋に果たしていくことができますようお守りください。そして天への道を今日もまた一歩進んでいくことができますように。主の御名によって。アーメン。
2月5日(水) マタイによる福音書5章43節〜48節
恵み深い天の父なる神さま。私たちは、自分で何をやっていることがわからなくなる者です。イエスを十字架につけよと叫んでしまう者です。そういう意味では、神様の敵として歩んでいました。しかし、それでも尚、イエスさまは私たちを愛し抜かれ、十字架の上で赦してくださいました。そんなイエスさまの愛に今日も私たちは支えられていますから、自分とは異なる者を愛する者へと今日も神様の力によって、変えられていきますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
2月4日(火) マタイによる福音書5章38節〜42節
天の父なる神さま。日々の生活の中で、赦すことのできない憎しみを抱くことがあります。しかしその憎しみ、悲しみをイエス様が全て引き受けてくださいました。憎しみの連鎖を主が断ち切ってくださいました。どうか私たちも今日、赦す神様の愛に生きることができるようお支えください。赦された者として、赦しに生きることができますようお支えください。主の御名によって。アーメン。
1月31日(金) マタイによる福音書5章33節〜37節
天の父なる神さま。あなたは「誓ってはならない」と私たちに教えてくださいました。ですから、わざわざあなたに誓わずとも、日々の生活の中で、今日も、主なる神様と隣人を愛する生き方をなしていくことができますようお守りください。復活の主が共にいてくださる確かさの中で、あなたの方から「世の終わりまでいつもあなた方と共にいる」と誓ってくださった確かさの中で、私たちが今日も安心して与えられた務めを果たすことができますように。主の御名によって。
1月30日(木) マタイによる福音書5章21節〜26節
天の父なる神さま。心の中で隣人を裁き、心の中で隣人を殺してしまう愚かな私がいます。この愚かさがあなたを十字架へと向かわせてしまいました。あなたは怒ることなく、私たちのために、十字架の道のりの中で沈黙してくださり、十字架の上で赦しを語ってくださいました。あなたの方からいつも仲直りの手を、和解の手を差し出してくださっている、その神様の優しさを忘れることがありませんように。私たちもまた、イエス様のように、自ら和解の手を差し出し、赦された者として、もっともっと人を赦し続けていくことができるように今日もお守りください。
1月29日(水) マタイによる福音書5章17節〜20節
恵み深い天の父なる神さま。私たちが日々の生活の中で負う心の傷を見て、「それは私の傷である」と仰って十字架へと向かってくださったイエス様を思い起こしながら、今日も私が一人ではないこと、神様が共にいてくださることを覚えながら過ごすことができますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
1月28日(火) マタイによる福音書5章13節〜16節
天の父なる神さま。あなたは、私たちのことをなくてはならない、替えが効かない存在だ、と仰ってくださいます。地の塩、世の光だと宣言してくださいます。欠けの多い私たちですが、そのように宣言してくださった私たちが今日も神さまの愛に守られて、地の塩、世の光として歩むことができますようお支えください。誰かの希望の光となることができますよう用いてください。主の御名によって。アーメン。
1月17日(金) マタイによる福音書5章1節〜10節
天の父なる神さま。私たちは自分の中にどれだけのものがあるのかを探し、そこに喜びを見出し、誇りを見出してしまいます。しかし、そうではなく、自分の中には何もなく、ゆえにあなたの助けがなければ生きていくことができないことを今日も知ることができますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
1月16日(木) マタイによる福音書4章17節〜21節
恵み深い天の父なる神さま。私たちは手放すことができない頑固さをそれぞれが持っています。手放したと思ってもすぐにそれを拾いに行ってしまいます。そうならぬために、イエス様を通して神の子とされていることを第一にして過ごすことができますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
1月15日(水) マタイによる福音書4章12節〜16節
天の父なる神さま。天国はやがてくる場所でありつつ、しかし、すでにもう来ているのだと、イエス様の到来によって、それが明らかとなりました。イエスさまを通して、天に約束された命ゆえに、私たちが今日も安心して過ごすことができますようお守りください。愛する者を天に送った家族を主の憐れみと慰めがお支えください。主の御名によって。アーメン。
1月14日(火) マタイによる福音書4章1節〜11節
天の父なる神さま。神様から私たちを遠ざけていくような誘惑や試練があるならば、私たちは自分の力でそれに勝利することはできませんから、誘惑に勝利されたイエスさまが今日も私たちの手をとって、導いて、守ってくださいますように。主の御名によって。アーメン。
1月10日(金) マタイによる福音書3章17節「そのとき、『これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が、天から聞こえた。」
父なる神さま。今日も目覚めをありがとうございます。イエスさまの身代わりの十字架を通して、私たちの罪が赦されて、私たちがどれだけ愛されているのかがよくわかりました。私たちの身に何が起ころうとも、「あなたは私の愛する子」と今日もあなたが呼んでくださる、そのことを心に刻み過ごせますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
1月9日(木) マタイによる福音書「そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、 2 「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。」
教会の頭、主イエス・キリストの父なる神さま。神さまは私たちを愛しているが故に、王の座から下り、地上に降り、飼い葉桶で生まれてくださいました。神さまの方から私たち人間へと近づいて来てくださいました。だから自分中心に歩んでいた自分を悔い改めます。神様の助け、お支えがないと生きていくことはできないと自分の弱さを認めて、イエス様と共に今日も過ごしていきたいと思います。主の御名によって。アーメン。
1月8日(水) フィリピの信徒への手紙3章20節「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」
父なる神様。御名を賛美いたします。あなたの聖なる御国からすれば、私はなんと汚れているのか、と思います。しかし、私の国籍は天にあります。私は光の子です。その栄えある身分をこの世にあって現したく願います。今日も私は、世にありながら、実は天国人であり、地にありながら、神の子の一人であるという誇りはなんという心強さであり慰めとなるでしょう。今日も、そのようなことを心に留めて過ごすことができますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
1月6日(月) ヨハネによる福音書6章68〜70節 シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。 あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
天の父なる神さま。私たちがあなたを選んだ以上に、あなたが私たちを選んでくださった、その恵みを2025年の私たちの信仰の歩みにおいても忘れてしまうことがありませんようお守りください。罪と弱さ、欠けがあることをご存知の上であなたは私たちを選んでくださいました。選ばれた恵み、赦された恵み、今日も御手の中にある恵みを覚えます。あなた以外の他のどの場所へ行っても救いはない。神の教会にしか、永遠の命がないということを、あなたが2025年も命の御手をもって導き続けてくださいますようお願いいたします。主の御名によって。アーメン。
1月2日(木) ヨハネによる福音書10章10節「盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。」
恵深い天の父なる神さま。今日は今日の計画を、1年には1年の計画を立てると共に、天の国の希望に生きる人のように、狭くなりがちな私たちの心を開いてください。十字架と復活の主の眼差しを受けながら、命を与えられた者として今日を歩んでいけますようお守りください。主の御名によって。アーメン。
2025年1月1日(水) ローマの信徒への手紙12章1〜2節「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 2 あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」
2025年も礼拝を中心とした、父・子・聖霊なる三位一体なる主なる神様の御言葉を慕い求める私たちの歩みとなっていきますようにお支えください。何をするにしても「神様の憐れみ」によって支えられ、イエス様ならこの時どうするだろうという視点を見失うことなく、歩んでいくことができますように。間違えたら、十字架に立ち返る歩みをもお守りください。アーメン。
12月31日(火) サムエル記上7章12節「サムエルは石を一つ取ってミツパとシェンの間に置き、「今まで、主は我々を助けてくださった」と言って、それをエベン・エゼル(助けの石)と名付けた。」
父なる神さま。始まったとばかり思っていた1年がもう終わりを迎えようとしています。頼りない私をここまで見捨てることなく、導いてくださいましたことを心より感謝申し上げます。1年の歩みにおいて、1月には能登半島地震があり、傷を負っておられる方々がおられます。また、教会におきましても、愛する者を、家族をあなたのみもとに送りました。どうか、全ての出来事の中に、主が命の御手をもって私たちを捉え続けてくださいますように。エベン・エゼルの石を積み重ねていく歩み、主が私たちを助けてくださったと告白しつつ、礼拝者としての歩みをこれからもお守りください。アーメン。
12月27日(金) マルコによる福音書14章3節「イエスがベタニアで重い皮膚病の人シモンの家にいて、食事の席に着いておられたとき、一人の女が、純粋で非常に高価なナルドの香油の入った石膏の壺を持って来て、それを壊し、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」
恵み深い天の父なる神さま、あなたは私たちを愛するがあまりに、御子をこの世に送られ、御子はご自身のいのちを私たちに与えてくださいました。今年も多くの賜物をあなたに求め、実際に願ったものをいただきました。せめて、心からの感謝を示す人にならせてください。あなたのために時も賜物も、惜しまずにお献げすることができるように私の信仰を整えてください。レプトン銅貨2枚でさえ、それが真実な信仰と感謝の表れであるのなら、あなたは喜んで受けてくださいます。壷を割り、心ばかりの感謝をあなたに献げます。あなたからいただいたものを振り返り、私の賜物をあなたに献げることができますように。アーメン
12月26日(木) ローマの信徒への手紙8章32節「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」
恵み深い天の父なる神さま。どうか私を憐れんで助けてください。御子さえも惜しまず与えてくださったあなたでありますから、御子と共にすべてのものを与えてくださると教えられています。あなたにはお出来にならないことは一つもありません。ですから、どうかあなたの憐れみのゆえに、私の小さな願いを聞いてください。信仰をもってあなたに祈っていることに耳を傾けてください。あなたが真実に愛なるお方であることを、十字架と共に、日常の中で見せてください。アーメン
12月25日(水) 詩編103編2節「わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない。」
父なる神さま。一年を振り返り、どれほどの良きものをあなたからいただいたのでしょう。ただ漠然と、あなたは恵み深いというのではなく、赦された罪の一つ一つ、癒やされた病、乗り越えることができた試練、心のうちに感謝の出来事をよみがえらせてください。あなたがあわれみ深い方でなかったとしたら、私たちは滅びるだけの一生を過ごしていたはずです。あなたがクリスマスにくださったイエスさまという恵みを忘れるな、と、私もまた自分のたましいに刻みます。恵みあふれる一年を素通りする者となりませんように、憐れんでください。
12月24日(火) 第二コリント8章9節「あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。」
天の父なる神さま。あなたが馬小屋で生まれ、羊飼いの礼拝をお受けになり、漁師や取税人を弟子とし、病める者や悩める者に手を差しのばしたことを恵みとして私はわかっているでしょうか。あなたは、富んでおられたのに、その栄光を捨てて、貧しくなられました。私が富む者になるために。私たちは病める者、悩める者にすぎません。あなたの恵みによって私を富ませてください。あなたがこんなに愛してくださっているのに、自分の惨めさしか見つめません。イエスさまの恵みによって輝いていると自分がわかるように、霊的な洞察を与え、今日のイブ礼拝に向かわせてください。
12月20日(金)ルカによる福音書 2章36〜38節
天の父なる神さま。この世の物差しであなたは私たちを測ったりしないことを、あなたはクリスマスに明らかにしてくださいました。ただ私たちが存在し続けることを、あなたは喜びとしてくださいます。私たちが永遠に存在し続けるために、イエス様がこの地にお生まれになってくださった、その神様の愛が今日も私たちを守ってくださいますように。
12月19日(木)ルカによる福音書 2章25〜35節
天の父なる神さま。私たちが、シメオンのように、今日も安心してこの地上を生きていくことができるのは、イエス様が十字架に、身代わりとなって死んでくださったからです。与えられた1日をシメオンのように過ごすことができますようお守りください。
12月18日(水)マタイによる福音書 1章18〜24節
天の父なる神さま。私たちを愛することを決意してくださった神様が、王の座から降りて、御子イエス様としてこの地上に生まれてきてくださったことを感謝いたします。人と同じ、私たちと同じ痛み、悲しみを経験してくださったからこそ、あなたはインマヌエル、共にいてくださる、と。そのような神さまの愛が今日も私たちの歩みのうえにありますように。
12月17日(火)ヨハネによる福音書 3章16〜21節
天の父なる神さま。私たちは、あなたを宿屋にも泊まらせず、いらないと言ってしまったその罪を悔い改めます。いらないと言って十字架に架けてしまった罪を心から悔い改めます。どうぞ、今日も私たちの心にいつまでもお泊りくださいといつでも言えるような信仰を与えてください。私たちの歩みを今日もお守りください。
12月14日(金)コリントの信徒への手紙二 1章3〜7節
天の父なる神さま。苦しみや弱さを通して、あなたが愛を示してくださる、というのであれば、それらを大切にすることが今日もできますように。十字架の苦しみを通して、私たちの全ての苦しみを理解し傍に立ち、叫んでくださる主の愛が今日もありますように。
12月13日(木)コリントの信徒への手紙15章12〜20節
天の父なる神さま。死者の復活などないと思わせるような、神の恵みなど存在しないと思わせるような出来事が私たちを襲います。そのような弱い私たちを、復活のイエス様が今日もお支えくださいますように。愛する者を天へ送った者に復活の主が今日も出会って憐んでくださいますように。
12月12日(水)コリントの信徒への手紙15章1〜10節
恵み深い天の父なる神さま。この世界においてあなたの力が届かない場所など、どこにもないことを忘れることがありませんように。私たちの今日の小さな歩みの一つ一つに見えない暖かな手を持って今日も、どうぞお支えください。そしてその主の御手に気づくことができますように。
12月11日(火)コリントの信徒への手紙13章4〜7節
恵み深い天の父なる神さま。イエス様が私たちを忍耐してくださったように、私たちも忍耐し、愛することができる人間へと私たちを作り変えてください。愛される者から愛することのできる人間へと私たちを作り変えてくださいますように。
12月6日(金)コリントの信徒への手紙12章22〜26節
恵み深い父なる神さま。十字架におかかりなることによって、私たちよりも、弱くなってくださったイエス様を見つめながら、それによって優しさを取り戻して、今日も過ごしていくことができますようお守りください。
12月5日(木)コリントの信徒への手紙12章12〜18節
天の父なる神さま。今日も私たちが一つの体からなる共同体のようになることができますようお守りください。足を怪我すれば、手で覆うように、全身の調子が悪ければ、全体に気を使うように、イエス様ならどうするだろう、という視点を今日も見失うことがありませんようお守りください。何よりも、私自身もまた助けを必要とする弱い存在だ、ということを忘れることがありませんように。
12月4日(水)コリントの信徒への手紙12章1〜7節
父なる神さま。今日もあなたは、私たち一人一人に役割や使命を与えてくださり、感謝いたします。あなたから与えられた賜物や働きは様々です。聖霊なる神様の助けを経ながら今日も互いに支え合う私たちの歩みとしてくださいますように。
12月3日(火)マタイ福音書2章9〜12節
恵み深い天の父なる神さま。御子イエス様がお生まれになった時から、すでに十字架にかかることが預言されていたことを思う時、父なる神様のその決意に驚きを隠せません。御子を失ってでも私たちを愛し、救うという神様の愛が今日も私たちを守ってくださいますように。また、この神さまの愛に応えて生きることができますように。
11月29日(金)マタイ福音書2章1〜8節
父なる神さま。誰かよりも優れていたいという気持ちが少しでもあるならば今日も神様がそれを沈めてくださいますように。十字架にかかりイエス様が負けてくださったことによって、私たちは頑張れない時でも愛されていることが分かりました。私たちの痛みを知っていてくださる主が今日も私たちの歩みを守ってくださいますように。
11月28日(木)ルカ福音書2章9〜20節
恵み深い天の父なる神さま。主イエスの母マリアのように、すぐに受け止めることのできない出来事を私たちは経験します。その時に、マリアのように、いつかそれを恵みとして受け取ることができるように、その出来事を宝のように心に納め続けることができるよう私たちの今日の歩みをお守りください。
11月27日(水)ルカ福音書2章8〜14節
恵み深い天の父なる神さま。 私たちは、飼い葉桶のように、誰にも見せることができないような汚れた部分をもっています。しかしそこに、イエス様が生まれてくださり、その闇と痛みに触れて包んでくださいました。それと同じ神様の愛に今日も私たちが包まれて、過ごしていくことができますようお守りください。
11月26日(火)ルカ福音書2章1〜7節
恵み深い天の父なる神さま。あなたは、羊飼いとの出会いを通して、全ての者に出会ってくださることを示してくださいました。私たちが孤独を感じる時でさえも、目には見えませんが、今日も支えてくださっていることを覚え感謝いたします。
11月25日(月)創世記 6章9〜22節
この世界と歴史を守り導かれる神さま。あなたの限りない愛と恵み、そして忍耐と赦しのもとで、わたしたち、すべてのものが生かされていますことを覚え、深く感謝をいたします。この世界を統治される神さまに信頼し、一切を委ねて生きる信仰者のあるべき姿をノアに見、また義であり愛であられる神さまの御心と救いの御業を御言葉に聞きました。神さま、あなたの言葉は、わたしたちの立ちかえりをいつもあなたが待っていて下さることを告げ、イエスさまによる救いの道が開かれていることを教えてくれます。それゆえこの一週間も、他でもない神さまの御声に聞き従い歩めますよう、わたしたちの生に介入し導いて下さい。 主の御名によってお祈りいたします。アーメン。
11月22日(金)コリントの信徒への手紙一 4章8〜13節
教会の頭、主イエス・キリストの父なる神さま。イエス様が私たちのために屑(13節)となってくださいましたから、王様のような自己中心的な生き方から今日も私たちが解き放たれていきますようお守りください。家族の中心に、学校生活の中心に、職場の中心に、今日も主が働いて、導いてくださいますようお願いいたします。
11月21日(木)コリントの信徒への手紙一 3章18〜23節
恵み深い天の父なる神さま。生きるにしても、死ぬにしても、私たちはあなたのものとされています。私たちがどんなに悩んでも、迷ってもあなたは私たちを、誰にもわたしたくない宝の民としてくださっていますから、そのことに喜びを覚えつつ、過ごしていくことができますようお守りください。
11月20日(水)コリントの信徒への手紙一 3章4〜9節
父なる神さま。あなたが私たちそれぞれに、種を蒔く役割、水を注ぐ役割という一つとして欠けてはならない必要な使命を与えてくださって、生きる力をくださって感謝いたします。今日も私にしかできない使命があるのですね。 畑全体に気を配ってくださる主を覚えて過ごせますよう、お守りください。主の御名によって。アーメン。
11月19日(火)コリントの信徒への手紙一 1章26〜31節
恵み深い天の父なる神さま。私たちの中に、誇れるものなど何一つとしてないことを今日も教えてください。あなたの力、助けがなければ、私たちは立つことさえ難しいですから、あなたが今日も私たちに力を注いでくださいますように。
11月15日(金)コリントの信徒への手紙一 1章10〜13節
天の父なる神さま。目覚めを今日もありがとうございます。考えてはいけないことを私たちはそれでも考えてしまうことがあります。しかし、それに歯止めをかけるために、主が十字架の上で、荊の冠をかぶり、血を流してくださったことを今日、覚えます。今日も私たちが十字架の主、イエス様に信頼して歩む1日となりますように。
11月14日(木)テモテへの手紙一 5章1〜2節
天の父なる神さま。今日も気づかないうちに自分を自分で追い込んでしまうことがないようにお守りください。何よりも、あなたが備えてくださった神様の家族と共に、互いに失敗の共有ができる、愛のある歩みを私たちができるように、今日も私たちの中心にあなたが立ってください。
11月13日(水)テモテへの手紙一 4章11〜16節
父なる神さま。自分の生き方がそのまま働く姿に映し出されるのであれば、どうか今日も私たちが自分自身に気を配り、心を向けていくことできるようお守りください。その姿を通して、神様の栄光が映し出されていきますように。
11月12日(火)テモテへの手紙一 4章6〜10節
恵み深い天の父なる神さま。テモテにしかできないやり方で、テモテにしかない賜物で人々に教えなさいとありますように、私たち一人一人にも、その人にしかできない役割と賜物を一人一人に与えてくださり、感謝いたします。互いに教え合い、励まし合う今日の私たちの歩みとなりますように。
11月8日(金)コリントの信徒への手紙二 4章16〜18節
父なる神さま。目に見えるものが全てではないことを今日も教えてください。目に見えるものを通して、見えない神様の愛を受け取ることができますよう、今日も私たちの歩みをお守りください。
11月7日(木)テモテへの手紙一 1章12〜17節
天の父なる神さま。今日も、神様が私たちに与えてくださった恵みの数々を思い起こしながら過ごすことができますようお守りください。パウロのように過去の自分にとらわれる事なく、今を導いてくださる神様を信頼して私たちの1日としてくださいますようお願いいたします。
11月6日(水)テモテへの手紙一 1章3〜7節
天の父なる神さま。私たちは自分中心に物事を判断しがちです。そうではなく、イエスさまだったらどうするだろうと神様の視点をもって今日も健やかに過ごすことができますようお守りください。
11月5日(火)フィリピの信徒への手紙4章10〜14節
天の父なる神さま。今日もあなたが備えてくださる様々な出会い、出来事を通して、パウロが友人との出会いを通して、神様の力を感じたように、私たちも神様に感謝をする1日となっていきますようお守りください。
11月4日(月)ヨハネ福音書5章19〜30節
父なる神さま。私たちが裁かれて、死んで終わらないために、あなたが自らの衣を御子イエス様の十字架の血によって赤くしてくださったことを感謝いたします。それゆえに、私たちが、裁きの日、終わりの日に白い衣を着ることができる。その喜びを覚えて、この新しい一週間もあなたと共に力強く歩んでいけますように。
11月1日(金)フィリピの信徒への手紙4章4〜9節
父なる神さま。いつも、神様の中で喜ぶことができますようお守りください。喜べないことがあっても、神様の中で平安に泣くことができますよう、今日も私たちをお守りください。
10月31日(木)フィリピの信徒への手紙3章12〜21節
天の父なる神さま。私たちは今日も、あなたが待っていてくださるゴールを目指して走り、与えられた務めを全うします。神様が抱きしめ、褒めてくださるというゴールが皆にあるというのであれば、今日も私たちは比較の世界の中に自分を置くのではなく、互いに助け合い、励まし合う、優しい世界の中を生きることができるように、お支えください。